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執筆者の写真Toshihiro Doi

創造する側に立つ

まだまだ暑さの続く日々だけど、明日から急に季節が進むらしい。流石に10月後半なので少しは秋らしい日がやってくるのかもしれない。秋の空の青はとても深く、広い。朝晩のオレンジ色も毎日綺麗だ。


いよいよ今日は稲刈り、今年も無事に収穫まで来れた。あとは雨が降る前に刈り取りを終えられるように頑張りたい。


今週もあちこち出かけたが、対面での研修や打ち合わせも増えてきた。対面でしか伝えられない熱量や、会場の空気感、合間の余白での雑談、そういうものの価値を感じる。ポロッとこぼれる言葉の中に大切なことが隠れているのだ。




毎日、いろんな自治体の人や、先生たちと対話し、今現場で起きていることや困っていることを聞くのだが、その中で考えることも多い。先生たちや、支援員、子どもに一番近いところにいる人たちの話は、私にとってとても貴重で価値が高い。そこから思いを巡らせ、創造することが大切だからだ。


何か変えたい、変えなければ、と感じ、動き出そうとしている先生は、数年前に比べて圧倒的に増えてきた。GIGAスクール、コロナ対応がトリガーとなり、色々と見えていなかったことが露呈し、変えることの必要性を感じる場面が増えたのかもしれない。一斉授業の中で満足できない子どもたち、ついていけていない子どもたちを目の当たりにし、従来の授業方法で、一人の力でできることの限界点が見えてきたのかもしれない。


個別最適な学び、協働的な学び、言葉だけでは感じられていなかった必要性が、目の前の現実とリンクし始めているように感じる。

そんな中で一番多いリクエストは「すぐに使えるアプリ」「有効なアプリやサービス」「効果的な実践事例」「好事例の紹介」という要望だ。





忙しい毎日の業務をこなす中で、手っ取り早く真似できそうな事例を欲しがる気持ちはよくわかる。いい事例を真似することによって、苦手な人の不安を解消し、なんとなく使えている授業にしていきたい、という気持ちもよくわかる。


しかし、私は授業は「ナマモノ」「Live」だと思っているので、基本的に事例紹介はしないようにしている。実際に現場で見てすごくいい授業だ、と感じることはたくさんある。でもその授業はあくまでその瞬間が素晴らしいのだ。すごく不安定な子どもたちを相手にし、いい授業が生まれる瞬間は一瞬だ。


その日、その時間、その天気や気温、心の状態、先生と子どもたちの関係性、それまでの毎日の営み、その集合体、結晶が素晴らしい事例を生み出しているのだ。だから絶対にその授業は再現できない。仮に同じような授業をその先生がしたとしても、二度と同じ授業にはならない。それだけ尊いものだと思う。





だから敬意を込めて、その授業を好事例として紹介しないのだ。最近そのことをあえて言うようにしている。本当に変わろうとしているなら、誰かの実践を真似るのではなく、自分にしかできない、自分らしい授業をして欲しいからだ。その先生の個性との出会いや、生き生きと自分らしさを発揮する姿が、子どもたちを解放するような気がするからだ。子どもたちが自分らしくいていい、と感じられる空間を作るために、先生が自分らしくあって欲しいと思う。


そのために、先生が自分自身について客観的に分析、考察し、自分を語れることが必要だ。そこをスタート地点として、授業で体現していく方策を考える。それがいい授業を生み出す方法だと考えている。今必要だとされている授業改革は、そこから始まるのではないか。だからこそ「創造する側に立つ」先生を増やしたいし、他の先生たちの琴線に触れ、感化されるような授業を増やしたい。地道で辛く、内面に迫っていく必要があるけど、そこを丁寧に進めていくことが大きな結果を生むと信じ、そのお手伝いを継続していきたい。



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